越谷達之助記念会

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    Introduction

    越谷達之助

    作曲家・音楽教育家・伴奏ピアニスト・朗読家として活躍した越谷達之助。
    石川啄木の短歌15編に曲をつけ、1938年に発表した歌曲集「啄木によせて歌える」に収録されている「初恋」は越谷の代表作で、今なお広く愛唱されています。
    越谷達之助記念会は、越谷達之助作品の普及に向けたボランティア活動に取り組んでいます。

    「初恋」物語 -八尋敏行-

    越谷達之助先生の作品のなかで「啄木に寄せて歌える」歌曲集が最も有名であるが、そのうち「初恋」ほど多くの人に愛され歌われてきたものはないであろう。 私は昭和15年日比谷公会堂において三浦環女史によって初演された「初恋」を聴いた数少ない一人であるが、その後この曲は多くの有名な男性女性歌手によって歌い継がれており、今日では「初恋」は越谷先生の代名詞ともなっているほどである。 私はその殆どを聴いているが、当然のことながら、それぞれの「初恋」に独特の微妙な趣きがあり、常に興味深く、ときに感動をもって聴くことが出来た。

    越谷先生が亡くなられてから2ヶ月後の昭和57年5月22日の日本経済新聞「文化欄」に私は「“日本のシューベルト”賛歌」と題して先生を追悼する一文を書いたが、生前の先生とは、常にしばしばシューベルトのリートに関する議論をしたものである。 「先生の歌曲は確かにシューベルトのドイツ・リートに相通ずるものを持ったしかも純粋に日本のリートである」というのが私の持論であり、先生もこの私の言葉に対して全く異議を挟まず、むしろ同感の意を表されたものであった。 私は三浦環女史が前述の「初恋」初演のときに突然聴衆に向って、越谷達之助という当時まだ無名の作曲者をドイツ・リートの大宗シューベルトと比照しつつ、紹介したのを感動をもって今なおはっきりと記憶している。 終戦後間もなく出版された「啄木に寄せて歌える」歌曲集(初版)にも全く同じ言葉を以って先生の作品を賞賛する女史の言葉が載せられており、一方「初恋」の作品に先生が「三浦環先生に捧ぐ」と附記しているのも大方のファンの知るところであろう。

    ところで、私はこの「初恋」について、単なる歌曲愛好者に過ぎない者ながら、日頃感じていることなどを書いてみたいと思う。 先生の歌曲例えば「啄木に寄せて歌える」とシューベルトの歌曲例えば「美しき水車小屋の娘」を譜面の上で比べてみると明らかに違うのは発想標語である。 即ちシューベルトの場合には、発想標語は常に簡略にMasig, Etwas, Sehr或いはZiemlichのGeschwind或いはLangsamといわば歌う速さについてのみ指示されているだけであるのに対し、 越谷先生の場合は全曲それぞれについてメトロノーム記号はもとより、発想標語が常に入念に明確に表示されているのが特徴である。

    そしてそれは特に先生の代表作ともいえる「初恋」において顕著である。発想標語として“柔かく憧憬を以って”と記され併せてAd libitum(自由に)とある。 さらにピアノ・パートについて「常に柔かく十分にペダルを使用して」とかcantabile e tenuto la melodiaなど微細に亘って、いわば注文がつけられている。 思うに先生の作品は初恋に限らず殆どの場合短歌に作曲されたものが多く、例えば石川啄木や北原白秋そして戦盲歌の短歌等がそうであるが、日本の詩歌とくに短歌は凝縮された抒情、純化された心情等にその独自の世界があり、 それだけに越谷先生は、単純に徹し、ときに無言のなかに潜む詩歌の心を、如何に歌い上げるか如何に表現すべきかに心血を注いだのであろう。 いやそれに違いないと思うのである。それはまた先生の作品を愛する人への先生の精一杯のサジェスションでありアドヴァイスであると思うのである。 「初恋」のピアノの出がmf から次第に、p, ppへと移って行き、そしてmpで歌が受ける最初の五小節を、先生自らピアノを弾いてみせながら、神経質なまでに「こうです。こうです。」と私に力説していたことを想い出しながら「初恋」物語を終わる。

    (昭和60・1記   越谷会通信  発行日 昭和60年2月15日)

    八尋 敏行(やひろ としゆき)(1916年 - 2014年)
    越谷達之助記念会初代会長
    • 昭和15年 三浦環による「初恋」初演を聞く。以後、越谷先生と親交を深める。
    • 越谷先生音楽葬の葬儀委員長を務める。
    • 越谷達之助記念会を発足し初代会長を務める。
    • 日本製粉社長・会長を歴任。
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